21世紀の日本は、確実に自己責任型の社会になる。そうした社会では、事故の価値観や正義感を確立する必要がある。戦後、日本人はそれらを全て他の者に預けて、ひたすら経済を追求してきた。その代償は教育においてあまりにも大きい。親は子供に示す価値観を持たず、安易に流れ、「子供の主張性に任す」という美麗の放任主義に走り、ついには放任から放棄へと移りつつある社会現象がニュースとなり始めた。
子供の主張性とは如何に育まれるか。それは、多くの価値観とぶつかり、悩み、反発し、比較検証することから自然と自らの価値観を形成し、その過程を通して自主性を育てるのである。我々大人は、その責任として、恐れず、侮らず、見くびらず、子供たちに対して自らの価値観をぶつけるべきである。たとえ、それが我々にとって苦しい選択であっても。
そうした場合に、絶対避けなければならないことがある。それは、反論を許さない抽象的な話に終始することである。例えば、いじめやそれに関する自殺が問題となった時に、有識者会議等で「命の大切さを教えよう」「子供の立場に立った教育をしよう」などという意見が出されたが、どれも反論の余地のない、もっともな意見ゆえに誰も実行できず、結局何も変えられないままである。また、「何故勉強しなければならないのか」という問いに対して、「将来のため」「自分のため」ではまったく説得力を持たない。まだ、「良い学校に行って、良い会社に入って、安定した生活をするため」のほうが、その是非は別として、子供にとっては反発、反論の余地があるだけ有益な回答である。
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